体力の、或いは精神力の限界に来ていた。私の頭は半鐘のように鳴り響き、目眩がした。無理だ。今日は無理。だって病院がすぐそこにまであるのに、どんなに歩いても一向にその距離が縮まないのだ。これはかなり重傷だ、よく頑張った、と自分を褒め称えつつ、一方でそれと同じくらい、いや、それ以上の存在感を背中から発している、スポーツバッグの中の赤ん坊。ああ、私はこんな所で路頭に迷っている。ひどく孤独だ。踵を返して自宅へ戻るにももう体力的に無理だった。
ちょうどそこへ一台のタクシーが向かってきた。渡りに船。私はタクシーを呼び止め帰宅することにした。ぴっかぴか、を通り越してべっかべかに磨き上げられたタクシーの運ちゃんは、自宅までの距離が短いことから、露骨にイヤな顔をしたが、こちとら具合が悪いんでぃ、と心の中で呟いた。タクシーのカーステレオからは、「太陽がいっぱい」のサントラが流れていた。そういえば、このシートはなんてふかふかなのだろう。私はバッグを傍らに置くと、沈み込むようにシートにもたれた。運ちゃんは、このまま何処か知らないお花畑的な場所に連れて行ってくれる……。ほっとしたのか強烈な眠気が襲ってきた。
センチメンタルなトランペットの曲は、何かが少しズレていたが、それが一層私を此処ではない何処か安楽な場所へ連れて行ってくれる、根拠のない自信が湧いてきた。
暫くして、窓の外に目をやると、そこは本当に知らない場所だった。お花畑ではなかったものの、五月のような木々の葉の充実。春のひかりはやわらかで優しく、私は目を疑ったが、明らかに此処は自分のうち方面ではない。「あの、ここはどこですか?私は緑区といったんですが」運ちゃんは真っ直ぐ前を向いて微動だにしないまま「あなたは旅をしたいのでしょう?」と言った。そうだ、私は旅の途中だったんだ。すっかり忘れていた。この、赤ん坊のせいで。
(続く)